「対象関係論」という言葉を聞いたことはあっても、どのような理論なのかをうまく整理できていないという方も多いのではないでしょうか。
精神分析には、フロイトが切り開いた理論を土台にしながら、乳幼児期に経験した他者との関係が、心の中にどのように取り込まれ、その後の人格や対人関係にどう影響していくかを探究してきた一群の理論があります。それが対象関係論です。
この記事では、対象関係論の基本的な考え方と、メラニー・クライン、フェアバーン、ドナルド・ウィニコットという代表的な論者の視点を、専門用語をかみくだきながら解説していきます。
- 対象関係論とは?
- フロイトの理論と対象関係論の関係
- クラインの「良い対象・悪い対象」「妄想-分裂ポジション」「抑うつポジション」
- フェアバーンが示した「人は対象を求める存在である」という視点
- ウィニコットの「ほどよい母親」「ホールディング」「移行対象」「本当の自己・偽りの自己」
対象関係論とは?

対象関係論とは、フロイトの精神分析理論を土台に、乳幼児期における他者との関係が心の中にどのように取り込まれ、その人の人格形成や対人関係に影響していくかを探究する、精神分析の理論の一群のことです。
「対象」という言葉は、日常生活では「物」や「標的」といった意味で使われることが多いですが、対象関係論においては少し違う意味で使われます。
「対象(object)」とは、自分の心が向けられる、自分以外の重要な人物やそのイメージのことです。とくに乳幼児期には母親(や主な養育者)が対象になりやすいのですが、対象関係論でいう「対象」は、現実の母親そのものというより、心の中に形成される母親のイメージ(内的対象)を指します。

つまり「対象関係」とは、単に「人間関係」を指す言葉ではなく、心の中に取り込まれた他者のイメージと、自分との関係のあり方を指す言葉だと考えるとよいと思います。
フロイトとの関係
フロイトの理論では、リビドー(性的なエネルギー)が「対象」に向かっていくと考えられていましたが、理論の中心に据えられていたのは、無意識やイド・自我・超自我といった心の構造、口唇期・肛門期などの発達段階でした。
これに対してメラニー・クラインをはじめとする論者たちは、「乳児期の母子関係そのものに、深い心理的な意味がある」という視点をさらに掘り下げていきました。フェアバーンは、心が根本的に他者を求める性質(object-seeking)を持つことを指摘し、「対象関係論」という言葉を用いてこの流れを体系立てたとされています。

フロイトの枠組みを土台にしながら、他者のイメージとの結びつきを人格の中心に据える方向へ、精神分析が発展していきました。
内的対象と内的世界
対象関係論の中心にあるのが、「内的対象」という考え方です。
乳児は、母親(養育者)とのあいだで実際に体験する授乳や、あやされる、叱られるといったやりとりを、ただ経験するだけでなく、少しずつ自分の心の中に取り込んでいくと考えられています。こうして心の中に形成された母親のイメージが、内的対象です。
クラインは、この過程を「対象関係の内在化」と呼びました。内的対象は乳児の愛情や不安、依存といった感情を映し出す存在であり、その後の対人関係のパターンにも影響していくとされています。
メラニー・クラインの理論
メラニー・クラインは、生まれて間もない乳児の心の中にも、すでに対象(対象イメージ)との複雑なやりとりが生じていると考え、その世界を探究しました。ここでは、クラインの理論の中でも重要な3つのポイントを見ていきます。
良い対象・悪い対象
乳児は最初、母親を「ひとりの人」として丸ごと認識することがまだできず、自分を満たしてくれる「良い対象(良い乳房)」と、満たしてくれない・不快を与える「悪い対象(悪い乳房)」に分けて捉えると考えられています。
良い対象
自分(乳児)の欲求を満たしてくれる存在。
例:お腹が空いてすぐ母乳がもらえたときの乳房。「これさえあれば大丈夫」という愛情や、「完璧に良いもの」という理想化した気持ちを向ける。
悪い対象
自分(乳児)の欲求を満たしてくれない存在。
例:お腹が空いているのにすぐ母乳がもらえないときの乳房には、「自分を苦しめる、意地悪なものだ」という不安や怒り(攻撃性)を向ける。
これは分裂と呼ばれる原始的な心の働きで、防衛機制の記事で紹介した内容ともつながっています。
妄想-分裂ポジション
乳児は、「悪い対象」に飲み込まれてしまうような不安を避けるために、対象と自分自身を「良い」か「悪い」かにはっきり分けてしまう、原始的な防衛を使うと考えられています。この心の状態が、妄想-分裂ポジションです。
このとき、自分の中にある嫌な感覚を対象の中に押し込め、あたかも相手がそう感じている・そうであるかのように体験する投影性同一視という働きも活発になります。投影性同一視も、防衛機制の一種として位置づけられています。
妄想-分裂ポジションと抑うつポジションは、「乳児期に一度通過して終わる発達の1段階」ではなく、行き来しうる心の動的な状態(ポジション)だと考えられています。大人になってからも、強いストレスがかかる場面などで、一時的にこの妄想-分裂ポジション的な捉え方に戻ることがあるとされています。
抑うつポジション
成長するにつれて、乳児は「良い面も悪い面も、同じひとりの母親の中にある」ということに気づいていくとされています。これが、抑うつポジションと呼ばれる心の状態です。
ここで乳児は、大切な対象に対して攻撃的な感情を向けてしまったことへの罪悪感や、それに伴う抑うつ的な不安を体験すると考えられています。この葛藤に耐えていく過程で、良い対象と悪い対象のイメージが少しずつ統合され、「乳房」という部分的なイメージから、「ひとりの母親」という全体的なイメージへの理解が進んでいくとされています。
この、良い面・悪い面を併せ持つ「ひとりの人」としての対象イメージが安定して保たれる状態は、対象恒常性と呼ばれます。
フェアバーンの視点
W・R・D・フェアバーンは、フロイトの欲動理論をさらに一歩進め、「人は快感を求めるだけでなく、他者(対象)そのものを必要とする存在である」という視点を打ち出しました。
従来の精神分析では、リビドーや自我といった心のエネルギーのあり方が中心的なテーマとされていましたが、フェアバーンは、心のエネルギーはそもそも他者との結びつきに向かうものだと考えました。つまり、人が根本的に求めているのは「快感」そのものではなく、「対象を求めること(object-seeking)」だという捉え方です。
また、フェアバーンは、乳児的で不安定な依存から、より安定した「成熟した依存」へと移行していく発達的な視点にも注目し、「パーソナリティとは、内的な対象関係のあり方そのものである」という考え方を強調しました。

フェアバーンが「対象関係論」という言葉を用いてこの流れを体系立てたことが、この理論群がひとつの潮流として確立されるきっかけになったと言われています。
ウィニコットの理論

ドナルド・ウィニコットは、母子関係を「環境(environment)」という視点から捉え直した論者です。
ほどよい母親
ウィニコットは、母親は完璧である必要はなく、適度に不完全であっても問題ないと述べました。これが「ほどよい母親(good enough mother)」という考え方です。
出産直後、母親は赤ちゃんに強く意識を集中させる時期(原始的没入)にありますが、これは徐々に和らいでいきます。この過程で赤ちゃんは軽いフラストレーション(欲求がすぐには満たされない状態)を経験し、それが「待つこと」や自分で気持ちを整えることを学ぶ機会になるとされています。

「ほどよい母親」とは、完璧を目指す母親のことではなく、適度な失敗とその修復を通して、子どもの成長を後押しする母親を指す言葉だと言えます。
ホールディング
ホールディングとは、文字どおり「包み込むように抱える体験」のことです。身体的に抱っこすることだけでなく、授乳、まなざし、穏やかな声かけ、体温、情緒的な応答など、赤ちゃんが安心して存在していられる、包括的な養育環境全体を指します。
十分なホールディングがあると、赤ちゃんは「今の自分はこのまま存在し続けられる」という感覚(存在の連続性)を体験し、心理的なまとまりが育っていくとされています。
逆に、ホールディングが不安定・不十分だと、赤ちゃんは強い不安を感じ、それが次に紹介する「偽りの自己」につながることもあるとされています。
移行対象
移行対象とは、ぬいぐるみや毛布の切れ端など、母親と赤ちゃんの「中間」に置かれるもののことです。ウィニコットはこれを、内的な世界と外的な世界のあいだにある緩衝地帯で使われるものと位置づけました。
赤ちゃんは成長するにつれて、母親がその場にいなくても対象恒常性(いつも味方でいてくれるという安定したイメージ)を保てるようになっていきますが、移行対象はその移り変わりの途中で使われるものです。
赤ちゃんは、母親がそばにいない場面でも、移行対象を抱くことで安心感を得て、母親から少しずつ独立した遊びや想像の世界を広げていくとされています。この移行対象との関わりは、後の創造性や文化的な活動の原型のひとつとも言われています。
本当の自己と偽りの自己
本当の自己(true self)とは、その人の内側から自然にわき起こる欲求や感情のことです。
偽りの自己(false self)とは、周囲の環境に適応するために身につける、外向きの自分のことを指します。

つまり、本当の自己は自分の欲求や感情そのまま、偽りの自己は環境に適応した自分、と考えるとわかりやすいと思います。
十分にホールディングされた環境で育つと本当の自己が育まれやすいとされていますが、環境からの要求が強すぎると、自分の一部を抑えて「いい子」を演じるような、偽りの自己が優勢になることがあるとされています。
対象関係論から見る「人との関係」

対象関係論では、心の中の関係(対象関係)と、現実の対人関係が結びついていると考えます。乳児期に形成された母親のイメージが内的対象として保持されると、その後出会う人との関係でも、似たようなパターンで感情が動きやすくなることがあるとされています。
これは、治療関係の中にも現れます。転移(クライエントが過去の重要な人物に向けていた感情や期待を、無意識のうちに治療者へ向けること)は、対象関係論の視点から見ると、内的対象関係が治療者との関係の中に現れたものと捉えることができます。

そのため治療の場面では、クライエントが今抱えている現実的な問題だけでなく、心の中の対象イメージと、それに結びついた感情がどのように立ち現れているかにも、注意が向けられていきます。
まとめ
対象関係論は、フロイトの精神分析理論を土台にしながら、「心の中に作られる他者とのイメージ・関係のあり方」に焦点を当てて発展してきた、精神分析の理論の一群です。
- 対象関係論は、乳幼児期の他者との関係が心の中にどう取り込まれ、人格形成や対人関係に影響するかを探究する精神分析の理論群
- 「対象」とは、心の中に形成される他者(多くは母親)のイメージのこと
- クラインは、良い対象・悪い対象への分裂、妄想-分裂ポジション、抑うつポジションという心の動きに着目した
- フェアバーンは、人は快感だけでなく他者(対象)そのものを求める存在だという視点を示した
- ウィニコットは、ほどよい母親・ホールディング・移行対象・本当の自己/偽りの自己という概念で、養育環境という視点から発達を捉えた
- 対象関係論は治療関係にも活かされており、内的対象関係は転移として現れることがある
対象関係論は登場人物も概念も多く、最初は混乱しやすい分野ですが、「誰が」「何に」注目した理論なのかを1人ずつ整理していくと、少しずつつながりが見えてくるのではないかと思います。
参考文献
- 小此木啓吾(編集代表)(2002)『精神分析事典』岩崎学術出版社
- D・W・ウィニコット(著)橋本雅雄・大矢泰士(訳)(2015)『遊ぶことと現実[改訳]』岩崎学術出版社







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